なかなかショッキングなタイトルですが…。
これは、↓の動画で私が発言した言葉です。
アナグマを電気槍で仕留めた時の動画ですね。
もちろん私は殺傷に快楽など感じませんので、この発言は額面通りのものではありません。
ただ、「動物を笑って殺せる」とその言葉だけを切り取れば普通に誤解しますよね。
「なんてやつだ、異常者だ」 私でもそう思うでしょう。
しかし、このセリフは意図的に発言し、あえて編集でカットしなかった言葉なのです。
動画の至る所でなるべく細かく説明しているため、現時点ではグッド👍441にバッド17ですので誤解はあまりなさそうですが…。
それでも今回ちょっとした議論がありまして。
「笑って殺す」という表現は不適切ではないかという意見です。
そこからの問答で、動画内で語れなかったことについて存分に説明できたため、私にとってとてもありがたい出来事でした。
今後また同じ質問をもらった時ここに誘導するため、以下にそのやり取りを残します。
―――以下、そのやりとり―――
質問者さんの意見
笑って殺すって言うのを一括りにしてはならないんじゃないかなぁ。北海道に住んでるとやっぱベテランの狩猟家さんがたくさんいらっしゃるけど。やっぱハンティングする時は自分の生活のエゴで殺すって言うのを理解した上で申し訳ないと言う気持ちで頂いてるものだと思うし。
それこそ格好つけて笑うって表現を使って欲しくなかったなぁ。新米猟師というか。今後猟師生活を続けるなら尚のこと命の重みがある言葉を心掛けて欲しかった。スポーツや快楽狩猟ではなく食べたり生業として頂いてるものなら尚更。
少なくとも笑ったりなんてしちゃいけないと思うよ
私の返信
笑って殺すという意味を取り違えていませんか?色眼鏡で決めつけて考えていませんか?
この動画を見て格好つけでその表現を使っていると思うなら、新米動画視聴者ですよ。
猟師は狩猟の時、笑いますよ。それを否定するのはあなたのエゴです。 こちらでまとめていますので、この記事を読んでなお同じ感想ならばもう一度コメントしてください。
質問者さんの返信
記事の方、拝見しました。それこそ賛否両論ある記事であり、それを恰も【猟師の真理である】という情報ではない。という印象を受けました。
その記事の後半、お魚やお野菜に例えて話が進行していましたが、ならこの様な動画でなぜ動物が可哀想だ。という声が出るのかを考えた事が有りますでしょうか?
それは我々と同じ種であり近い存在だと言う言葉が1番正解に近いでしょうか。
僕もそれこそ格好つけて命は平等だ。などと言うつもりはありません。魚類や穀物類、元は同じ命、全ては平等だ。なんて聖人みたいな事を言うつもりはありません。やはり表情や鳴き声で魚類や穀物類と明確な差別化が出来ていて、心が痛むのは哺乳類だと思っています。
これを色眼鏡だと思うならどうぞ思ってください。人間の本質の部分で割り切っているなら御立派です。
さて、話が逸れましたが論点は【猟師は狩猟の時笑うか】でしたね。
それは本当なんでしょうか?、ではなぜ笑う必要があるんでしょう。もちろん楽しいからという理由ではないのは承知しています。この記事で書いてあるように害獣として駆除しているという使命感や達成感でも、多分ないと思っています。現に私の知人も人の為にやったんだ。なんていう猟師は熊専属の方くらいしか知りません。
それこそお野菜やお魚の様な不透明な「愛着」が湧くからでしょうか?
それのどれもあまり人間味がないお話ですね。少なくとも猟師ではない一市民の自分には分かりえない感情だと思います。 そしてやはり知人のどの猟師さんも笑って狩猟したなんてお話が出たことはありません。
では笑うって表現はなんだったのかと。そこも理解しています。決して楽しいから笑う、喜怒哀楽の喜の感情で笑うって表現をしたのではないんですよね?
それを含めてそれを生業としている人間が楽しいという意味も含まさっている笑うという表現を使うのは不適切ないし笑うというのを猟師の心理状況である。と説明するのが格好つけの部分に該当するのではないか。という事です。
猟師が動物を殺す時笑うでしょうか?いいえ笑いません。笑ってる猟師がいるならどこの誰が見ても恐ろしいものです。
浅はかな検知だったでしょうか?何度も言うように私は狩猟家ではありませんし。動物を殺傷した事もありません。
貴方にも貴方のポリシーがあったり貴方の教わった事があった事を否定する気もありません。
ですが、自分の見てきたもの、自分が聞いてきたものに笑っている。という表現を聞いた覚えはないですし。それが適切であるかどうか。という部分では自分の中ではナシだと思っています。
私の返信
そこまで読み込まれているなら、私から何かを言う必要はないですが・・・。答えられることには答えたいと思います。
まず、私の意見は猟師の総意ではありませんが、それでも狩猟の前後で猟師は泣いているか、笑っているかと問われれば、笑っていると答えます。
人の倫理観は性格や生きてきた環境により様々異なりますが、一般に、自分に近いものが苦しむことほど心苦しく感じるものだと思います。すなわち種類の差というよりは、自分にとって身近で、共感しやすいものほどその死を悼むでしょう。
その意味で、狩猟の対象、アナグマも多くの人にとってはその対象です。
ではなぜ笑うという表現を用いるかですが・・・。一言では表せません。
牛が殺されるのは悲しくても、焼き肉は笑って美味しく食べると思います。
毎度、牛の死を悲しみながら申し訳ないと思いながら焼肉を食べることはありません。
動物の命を奪う過程も同じで、良くも悪くも慣れが生じます。
殺すことは食べる、減らす、加工する、までの過程の一部となるのです。
最初に抱いた「命を奪うこと」に対する気持ちは決して忘れて良いものではありませんが、命を奪う時に毎度祈りを捧げるかどうかは本人の問題で、外部から強要されるものではないでしょう。
猟師にもいろいろな人がいますが、猟師はいたって普通の人間です。
狩猟免許を取得すれば猟師を名乗れるわけで、特別な精神修養を積んでいるだとか、そういうことはないのです。
人によっては猟師に対して、あまりにも多くのものを求めます。
猟師なんだから笑わずに狩猟しろ、というのはその最たるものであり、私はそのような意見を聞くたびに、えも言われぬ気持ち悪さを感じるのです。
「なぜ笑うのか」と問われれば、
少なくとも私は、仕留める瞬間に笑うことは決してありません。どうしても、その瞬間だけは笑えないですからね。
その前後において、捕まえれば嬉しい、仕留めればすでに肉であり脂がのって美味しそう、という理由から笑います。
狩猟から遠い場所にいる人々が、そこで笑う猟師を見て「猟師の癖に~」と頭ごなしに発言することがある。私はそれが嫌いです。
それこそ格好つけて言うならば、私の「笑って殺す」発言の根底には、どこかで聞きかじった正論を猟師に押し付けてくる人たちへのアンチテーゼが含まれています。
「笑って殺すことができる」という言葉は、多くの誤解を招く発言です。適切ではないでしょうね。でもそこをカットはしませんでした。
それは多くの方にその言葉の真意を理解してもらえると思ったからです。
「笑って殺す」そこだけを切り取れば、「とんでもないやつが猟師になったもんだ」、と多くの人が思うでしょう。
そこだけ記事にされたなら、私だって反対意見を寄稿するでしょうね。
私の狩猟動画は文字通りの新米猟師の動画であり、拙い箇所は非常に多いです。
それでも、時折いただくこのような意見に対し、じっくりと回答できるくらいには否定意見は少ないです。
それは、動画やブログを通して、自分の言いたいことが一定の理解を得られているということだと考えています。理解できない恐ろしい猟師ではなく、ヘタレな一般人の猟師として。
同時に、賛否両論あるのは当たり前であり、言葉を尽くしても100%の理解を得られないことは重々承知しています。
最後に、殺す前後でなぜ笑うのかに対して、あえて一言で答えるのならば、
「自分の中ですでに焼肉前の肉になっているから」ですね。
数十年の経験を積んだ先輩は、いつもと変わらぬ表情で、人から見れば笑っているような表情のままで動物を殺します。
私は最初その光景を見て、正直言って引きました。しかし今ではその時の先輩の表情を理解できます。
私は狩猟に限らず、自分のやっていることに対し他者から理解を得たいと思う人間です。
だから誤解を受けても矢面に立っても、自分の主張を続けるでしょう。
その中で質問者さんのように真っ向から意見をくれる人は貴重であり、「これは気合い入れて答えなければ!」となるのでありがたいことです。
言わんとすることが伝わっていれば幸いです。
質問者さんの返信
こんな浅学な文にご返答頂き大変感謝しております。
読み解くのに大変難儀した事と思いますが重ねてお礼申し上げます。
それこそご返答を見ていくにつれ自分の見識の甘さを痛感し驚かされるばかりでありました。
確かに「過程」で考えるとあまり良くないイメージが湧き「結果」で考えるとカエデさんの認識になり得るものかと思うばかりでした。
もちろん、自分としても「命を奪う」事に対して「罪悪感」を感じろともそれに対して贖罪すべきと強要されるべきとものではないと思います。そこに関しては同意見です。
ですが一般の方々から見ては如何でしょうか?命のやり取りをしてるのが猟師でその命のやり取りをしてない人間からするとやはりどうしても「なぜこんな事をするのか。残酷ではないのか」という意見が出てしまうものかと思います。
もちろん。猟師さんも我々と変わらない人なのですが、命に触れている部分では他の人間より遥かに大きいわけです。
俗に言う「プロの意識」というものではないですが。やはり命の重みを知っている。という検知が蔓延してるのが根底にあるのではないでしょうか?それが強要される理由にはなり得ませんが。それが命を捌く仕事だと自分は思います。
それを含めても非常に参考になるお話であり後学になり得る非常に有意義な議論でありました。
非常に御立派な心意気をお持ちだと思います。お身体に気をつけ御精進なさって下さい。アンチテーゼがなければアウフヘーベンは起こらないと申しますので。そのような議論が出来たなら嬉しい限りです。いずれ御縁が有りましたらまたお話出来ることを楽しみにしています。お忙しい中ありがとうございました。
私の返信
そうですね。狩猟をしている以上は責任もってやれよ、ということなのでしょう。
過去の自分は猟師になるとは欠片も思っていませんでしたし、今のように色々と考えたこともありませんでした。当時の自分は猟師に対して、現在他の人からもらう感想と同じ意見を持っていたと思います。そのため、いわゆる専門家に多くを求める気持ちも理解できるつもりです。それでも愚痴は言いますが…。
私にとって狩猟は仕事ではありませんし、偉そうなことを言えるほど立派な人間でもないです。
それでも何かをやるなら、その何かに対して、やらない人に比べ一歩踏み込んだ考えと責任を持つべきなのでしょうね。
一つの動画、一つの言葉から受け取る情報は人によって形が変わるものですが、その形がプラスであることの方が良いに決まっています。
言葉を尽くし、会話が良い方向に着地できて良かった。こちらこそ安心&感謝でまたお会いしましょう(*´ω`)ノ
追記:本当に語りたいことを語らせていただいたので、同じ質問が来た場合に備えブログ内へやりとりを保管させていただきます。もちろんアカウント名等は伏せます。このたびはありがとうございました。
―――以上―――
丁寧な質問には丁寧な回答、煽られたら2倍にして煽り返すがモットーです。
しかし煽り返した結果に大人なコメントが飛んできた場合、赤面しながら対応を変えるまでがワンセットですね(;'∀')
まぁそのあたりはお互いさまで。
今回は互いが互いを分かり合い、最終的に敬意をはらえるようになった、ネットのコメント欄にしては稀ともいえる有益なやり取りであったと思います。
今回のように、私はyoutubeでのコメント欄で、日常的に長文をやりとりしています。
さすがにここまで長くなることは月1程度で、だいたいは軽いやりとりで終わるのですが…。
しかし、ごく稀に私が言いたいことをすべて言えた、残しておきたい議論が生まれることがあります。
今まではコメントの海に流れていき、同じ質問が来るたびにひたすら似た回答を打ち込み続けてきました。
誤解を受けたままよりは、議論を尽くして多少なりとも納得をしてもらえる方が良いに決まっていますから、それはそれで良かったのですが…さすがに5年越しで続けていると疲れるもので。
自分の見解を残せるという意味でも、ブログを作って良かったなと思います。
ここまで読んでくれてありがとう。
毒にも薬にもならない記事で申し訳ないです(;^ω^)
カエデ
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