狩猟、ハンティングと呼ばれる行為は、生き物の命を奪うことで成り立ちます。
日本の日常生活では、動物の命を奪う機会というのはそう多くありません。それが鹿や猪などの大型動物ならなおさらです。
だからか、youtubeなどでたまにこんな質問を頂きます。
「なんで動物を殺すの?」と。
なぜ猟師は動物を殺すのかという素朴な疑問に現役の猟師が答えます。
※この記事は3分で読めます
美味しい肉を食べるため
多くの猟師にとって、狩猟は趣味にすぎません。
そういった猟師にとって、狩猟で捕獲した動物の肉を食べることは大きな目標の一つです。
なぜスーパーにある肉を買わないのかと言われることもありますが…。
それは、狩猟で獲った鳥獣の肉が美味しいからです。
ステーキが食べたくてステーキ屋に足を運ぶのと同じですね。
自分で野生動物の肉を手に入れ、それを食べること。
その肉の美味しさはわざわざ理論立てて語る必要がないかと思います。
猟師に限らず、私たちは美味しい食べ物を得るために労力を払い、たくさんの命を奪っていますよね。
そうすると「スーパーにある肉は死んでいるじゃないか。わざわざ殺さなくても」と言われることもありますが…。
このあたりの議論を始めるとキリがないのでまた別の機会に。
田畑を守るため
次に多い理由がこれだと思います。
猟師は農業を営んでいる人が多く、農業への被害を抑えるために狩猟免許を取得する人もいます。
↓の記事でまとめていますが、平成29年度は鹿と猪の被害だけで100億円越えの農業被害が出ています。
農業収入を守るため、あるいは夏休みで遊びに来る孫の食べるスイカを守るために。
農家のおじさんが猟師になるケースはとても多かったりします。
農家のおじさんは今日も有害鳥獣を捕獲します。
個体数を管理するため(下図は環境省より)
日本には人間以外にも多くの生き物が住んでいます。
人間は人間が生きていくための環境を整備しなければいけません。
そんな人の生活の一部として、猟師は増えすぎた動物を駆除し個体数を適正値で管理するために動物を殺す役目を担います。
とはいえ実際のところは、それほど立派なものではないのかもしれません。
なぜならほとんどの猟師はただの一般人であり、個体数の管理という面には無頓着だからです。
猟師が動物を殺すのはあくまで自分のためであり、「皆のために!」というような意識の高い猟師は少ないと思います。
猟師は国や市町村から許可された狩猟鳥獣を狩ります。
国などが報奨金や狩猟数の制限などを設けることで、猟師の手綱を握っているということですね。
狩猟ができ、その肉を食べたりお金をもらえることは猟師としても嬉しいことです。
そのため猟師自身には動物の個体数を調整しているという意識は薄いかもしれませんが、結果として個体数管理の中核を担っていることは間違いないでしょう。
それでも平成28年度においては鹿と猪でそれぞれ約60万頭、あわせて約120万頭が駆除されています。
特に60万頭の鹿が野放しのままなら、貴重な高原植物や大樹の新芽が食いつくされ、生態系に甚大な被害を与えます。
食害により木が立ち枯れし、死んだ山は保水力を失い土砂崩れを引き起こします。
個体数の管理は、日本において銃を所持することを認められるほど重要視されているのです。
動物の数は様々な要因により変化します。
有害鳥獣を含む動物の個体数の調査は国が定期的に行っており、その結果によって狩猟して良い動物が変化することがあります。
「自然の流れに任せろ」「元はと言えば人間が野生動物の棲みかを…」という意見もありますが。
個体数を管理することは、自然全体を生かすことでもあるのです。
お金のため
狩猟で得た収入で生活する専業猟師というのもごく少数ですが存在します。
肉、牙、皮に至るまで、時代によって差はあれど、我々は動物の命を生活に役立ててきました。
今ではほとんど絶滅したともいえる専業猟師ですが、動物を殺し、そこからお金を得ることは今でも行われています。
古くはマタギと呼ばれた人たちも生活のため、お金のために動物を殺してきました。
猟師も人間であり、それぞれ生活を持っています。
狩猟により手に入るお金は、大なり小なり何かの役に立っています。
お金をもらって動物を殺すことは野蛮なことではありません。
動物を殺すことでお金を得ることは、
人が人として生きていくためのシステムに組み込まれた、誰しもが無関係ではない現実の出来事です。
猟師が専業で食っていけるのかという疑問に対する回答はこちらでしています。
狩りという行為が楽しいから
動物との命のやり取りはスリルと駆け引きがあり、猟師は狩猟の準備から獲物を仕留めるまでを楽しんでいます。
「それは動物を殺すことを楽しんでいるのではないか?」
そう言った意見をもらうことがあります。
それにどう答えるかは難しい問題ですが…。
まず最初に言いたいのは、
「殺す時は楽しくなんかないよ」ということですね。
生き物が死にゆくさまを見るのは、いつまでたっても気持ちの良いものではありません。
笑って動物を殺すときもありますが、それはその猟師の中でその動物がすでに肉やお金に換算されているためです。
人の笑みとは複雑なもので、殺すことを楽しんでいるわけではありません。
こういった気持ちは、釣り、フィッシングに例えれば理解しやすいかと思います。
魚が死ぬのが面白くて魚釣りをする人はいないですよね。
でも、釣り人は笑顔で魚を釣り上げています。
たまにテレビでそういった光景を見ますが、陸に揚げられた魚はだいたいその場で窒息死しています。
早起きして出かけて魚が釣れれば嬉しいし、食べる時のことを考えたら楽しみで笑顔になりますよね。
その笑顔は、魚が死ぬことを笑っているのではありません。
漁師の中では、釣り上げた瞬間から魚は食べものでありお金であるのです。
釣りだけでなく、畑で野菜を作ったとしましょう。
一面に青々と茂る葉、陽の光を浴びてすくすくと育つ作物たち。
あなたが育てた野菜を一口食べれば皆が笑顔になります。
自分が育てた野菜は美味しく感じるものです。
その根底にあるのは育てた野菜に対する愛着でしょう。
狩猟にも似たことが言えます。
自分が準備を重ねて出猟し、苦労して捕えた動物を仕留め、肉にして食べる。
その一連の流れは野菜へ対する愛着にも似た想いを感じさせ、その体験全てを通して”狩りが楽しい”と感じさせるのです。
まとめ
猟師はなぜ動物を殺すのか。
・美味しい肉を食べるため
・田畑を守るため
・個体数を管理するため
・狩猟という行為を楽しんでいるから
・殺すことを楽しむ猟師はいない
賛否あるかと思いますが、これが私の回答です。
狩猟に慣れた人とそうでない人の間では、ためらいなく動物を殺すことのできる猟師に忌避感を覚える人もいると思います。
でも知ってほしいのは、猟師は決して殺すのが楽しくて動物を殺しているわけではないということです。
猟師は、一般人が狩猟免許を取得することで名乗れるようになります。
猟師は普通の人と何ら変わらない、ただの人間なのです。
↓私が猟師になった理由についてまとめています。踏ん切りのつかない人に読んでほしい。
カエデ
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